伝統的ヨーガとヨーガ療法の歴史的な流れ
インドで鍛錬法として伝承されてきたヨーガは、今や健康法として世界中に広がりました。
日本におけるヨガ人口も増え続けて600万人を超えていると言われています。
古来より伝承されてきた伝統的ヨーガが現代医学の進歩によって、脳機能改善や心身症などに対する有効性が明らかになってきています。
こうして現代まで発展してきたヨーガについて、歴史的流れを探ってみます。
【伝統的ヨーガの歴史】
ヨーガの歴史は4千年とも5千年とも言われ、その由縁はモヘンジョダロ遺跡で発掘された約BC2500年頃の印章に、ヨーガ座法を行なっていると思しき行者の姿が彫られていたからと言われています。
その真偽はわからないけれども、世界的にテクノロジーやグローバル化が進み大きく変化した今なお、聖地ヒマラヤの山奥で脈々と引き継いできた行法に身を投じる行者たちがいるということが、何よりもの証なのかもしれません。
こうしたヒマヤラのヨーガ行者たちは現代ヨガの象徴とも言えるヨガマットひとつ持たず、我が身ひとつ、着の身着のままヒマヤラの山々を歩き続けています。
一体何のためなのでしょう。
ヒマラヤの行者たちが目指すのは、「サマディ」という解脱の境地。
宗派によってその解脱という言葉の解釈に違いはあれど、生きていると誰もが一度は感じるであろう様々な疑問に対峙し、その答えを求めながら体現しているのがヒマラヤのヨーガ行者たちなのです。
家族や仕事を抱える私たちには、このような行者たちのように身を投じることは容易ではありませんが、悠々とインドで受け継がれてきた伝統的ヨーガに現代社会を忙しなく生きている私たちに欠けてしまった何かのヒントがあるのかもしれません。
まずは伝統的ヨーガについて探ります。
インド哲学とヨーガ
ヨガの歴史を探るとインダス文明まで遡ります。
紀元前2600年〜前1800年頃に、インダス川流域で栄えたとされるインダス文明ですが、インダス川下流に位置するモヘンジョダロ遺跡から発掘された出土品の中に、瞑想座法と言える行者の姿が彫られた印章が発見されました。
これは、人類史上初めてと言えるヨガの起源を物語る客観的物証としてよく話題に挙がります。
計画的に行われた都市開発など非常に高度な文明だったと言われていますが、その終焉は突如訪れ、滅亡した理由も含めて未だに多くの謎に包まれています。
さて、インド全域にヨガが広まったのは、インダス文明滅亡後の約300年後、BC1500年頃に北方からインドへ侵入したと言われるアーリア人の文化や思想が深く関係しています。
ここでひとつの疑問が湧きます。
前述した、モヘンジョダロ遺跡で発掘されたヨガ行者とされる印章を持つインダス文明が滅びた後約200年を経て、ヨガの哲学となるヴェーダ聖典を広めたアーリア人の間に、直接の接点は明らかになっていないのです。
しかし、インダス文明にあったヨガ座法の印章と、ヴェーダ聖典にあるようなヨガ的思想をすでに持っていたことから推測すると、遥か過去まで遡ったどこかで繋がるのかもしれません。
さて、その真偽はわからなくとも、史実として残っているのは、それまで中央アジアを原住地としていたアーリア人は、前述したようにバラモン教を信仰していました。
このバラモン教は、今なおインドやその近郊で残るカースト制度の原型と言える身分制度です。
宗教的な民族であるアーリア人は、祭事の際に神々に捧げる讃歌を集大した「ヴェーダ聖典」を作り出し、そのヴェーダから「ウパニシャッド」という一連の書物が生まれます。
この「ウパニシャッド」から発展したのが【インド六派】と呼ばれるインド哲学です。
・サーンキャ学派
・ヨーガ学派
・ヴェーダーンタ学派
・ミーマーンサー学派
・ニヤーヤ学派
・ヴァイシェーシカ学派
このインド六派哲学に共通する概念が「梵我一如」の概念です。
自分の中に潜む”我=ブラフマン”を知ることによって、宇宙原理である”梵=アートマン”を知るという思想を巡って、それぞれの主張や技法が繰り広げられました。
こうした思想を持つアーリア人が、インダス川やガンジス川流域へと広がる中でヨーガと関わりの深いインド哲学が広がっていったという訳なのです。
【現代のヨーガ事情】
伝統的ヨーガがヒマラヤ山中やインド各地でその道を求める求道者など、一部の限られた行者たちによって密教的に脈々と続いてきた一方で、1900年頃から西洋におけるヨガブームが起きました。
これはインドから西洋にヨーガ思想を広めた2人のヨーガ指導者の功績と、イギリスの統治下にあった当時、西洋的な体操を取り入れたことで世界的に広がっていきました。
ここでは現代の多様化されたニーズに対応すべく変化してきたヨーガの経緯について探ります。
初めてインドからアメリカへ渡ったヨガ指導者
【ヴィヴェーカナンダ大師(1863-1902)】
1863年にインド・カルカッタで生まれた偉大なインド聖者のひとりです。
1893年シカゴで行われた第1回世界宗教者会議に招かれたヴィヴェーカナンダ大師は、初めて世界の表舞台に立ち様々な宗教を代表する人々の前でヴェーダーンタ哲学を説き、その名を世界に広めました。
その会議にはキリスト教をはじめ、ヒンドゥー教、ジャイナ教、仏教、イスラム教など世界各国から様々な団体が参加していたわけですが、その中で当時30歳だったスワミ・ヴィヴェーカナンダ大師が宗教を超えた調和を説きました。
その記念すべき公演を終えた時、その場にいた7千人の聴衆は宗教を超えた「真理の普遍性」に共感の拍手が鳴り止まなかったそうです。
ヴィヴェーカーナンダ大師は自身が唱えたヴェーダーンタ哲学に基づき、人類を4つの類型に分類し、それぞれ相応しいヨガあるとしました。
◎活動的 「カルマ・ヨーガ(実践の道)」
◎精神分析的 「ラージャ・ヨーガ(心身統一の道)」
◎宗教的 「バクティ・ヨーガ(信愛の道)」
◎哲学的 「ジュニャーニャ・ヨーガ(智慧の道)」
こうしたヨーガ思想・理論に基づいて、現在インド中央政府より認定されている3つのヨーガ研究施設の中のひとつである「スワミ・ヴィヴェーカーナンダ・ヨーガ研究財団」が1978年に設立されました。
今日まで、インド国内におけるヨーガ療法の臨床治療や研究活動が進んでいることから、現代のヨーガ療法を学ぶ上でヴェーダーンタ哲学理論、とりわけ「ラージャヨガ」が生きています。
ところで、ヴィヴェーカナンダ大師はこの会議に行く途中、日本に3週間滞在しています。
この滞在は、当時東京美術大学を設立したばかりの岡倉天心に影響を与え、ヴィヴェーカナンダ大師との交流を続けた後にインドへ渡りアジア美術史観を模索することになるなど、当時日本で活躍していた思想家たちなどに影響を与えたと言われています。
アメリカに渡りヨガを広めた西洋ヨガの父
【パラマハンサヨガナンダ(1893-1952)】
映画「永遠のヨギー」(2014年米国)の原作となる「あるヨギの自叙伝」(パラマハンサヨガナンダ・著/初版1946年)で有名なパラマハンサ・ヨガナンダは1920年に渡米しました。
その後LAを拠点として、[the Self-Realization Fellowship、略称:SRF]を設立し、クリヤヨガを広めました。
「あるヨギの自叙伝」によると、クリヤヨガとは古より伝わってきた非常に高度な瞑想法であり、古くはヴァガヴァッド・ギーターの中でクリシュナが言及している場面があって、解脱に至る技法ということです。
その実践法については、難易度の高いタントラ的なもので非公開です。
SRFは現在、世界中に寺院やセンターがあSRFは現在、世界中に寺院やセンターがあり、パラマハンサヨガナンダの教えは今なお引き継がれています。
ーSRF HP より一部抜粋
パラマハンサ・ヨガナンダの著書「あるヨギの自叙伝」は、ジョージ・ハリスンやスティーブ・ジョブズに影響を与えたことでも知られています。
エクササイズとして広まったヨガ
ヨガの歴史を振り返る中で、イギリスによる植民地支配がひとつのポイントになります。
1498年、インド亜大陸がポルトガルのヴァスコ・ダ・ガマによって発見され、ゴアを拠点にキリスト教の布教が始まりました。
ちょうどこの頃、イスラム教王朝が栄えていた北インドとヒンドゥー教を国教としていた南インドを統治したムガル帝国が誕生します。
その後、オランダ、イギリス、フランスがインド国内に会社を起こす中、イギリスが経済的支配を強め英語が公用語化するなどインド国内での西洋化が進みました。
1857年には、インドが直接統治するようになり植民地支配が始まります。
ちょうどこの頃、西洋では身体への関心が高まり始まりました。
これは、1760年代から1830年代イギリスで産業革命が起こり、人々が農村から都市部に移動するのに伴って人々の交流が活発になりました。経済的活動によって、健康志向や余暇活動への関心が高まり、パブリックスクールでもスポーツが行われるようになり、生活の中でスポーツが参入されるようになりました。
これが近代スポーツ文化の始まりとなります。
こうした歴史の中で、身体鍛錬法としてのヨーガが注目されるようになり、身体文化として取り入れられるようになりました。
エクササイズプログラムとしてヨーガのイメージ化が進み、多くの人に親しまれるようになったのは至極自然な流れだったのかもしれません。
グローバル化が進んだ現代では、多くの人々がインドへと自由に行き来するようになり、世界中あらゆるところで様々な形でヨ-ガが進化しながら親しまれるようにました。
こうした流れの中で派生した近代的ヨーガを大きく4つにカテゴライズすると、
「医療的・セラピー的ヨーガ」
「教典に重点を置いたコミュニティ的ヨーガ」
「身体的実践に重点を置いたポーズ的ヨーガ」
「瞑想実践の瞑想的ヨーガ」
このように分かれ、実践者もその目的によって講師や教室を選ぶ時代になったと言えます。
【一社)日本ヨーガ療法学会のヨーガ療法】
ヨーガ療法の歴史は約100年前に遡ります。
1920年代インド南西部ロナワラ市「カイヴァルヤダーマ・ヨーガ研究所」で科学的な研究が始まりました。
その関連施設である「スワミ・ヴィヴェーカーナンダ・ヨーガ研究財団」は、インド中央政府より認定されている3つのヨーガ研究施設の中のひとつです。
研究財団の名前にある「スワミ・ヴィヴェーカーナンダ」は前述した、偉大なインド聖者のひとりです。
一社)日本ヨーガ療法学会では西洋にヨーガの智慧を広めたヴィヴェーカーナンダ大師が世界に啓蒙した<ヴェーダーンタ哲学>の教えがベースとなりsVYASAが設立したヨーガ大学・大学院と提携してヨーガ療法士を養成しています。
伝統的ヨーガとヨーガ療法の違い
伝統的ヨーガは、解脱に至るための道として師匠から弟子へと密教的に引き継がれてきました。
その技法は、ポーズを極めるものではなく瞑想状態へ入るための身体訓練であったり、呼吸法であったりします。
中には呼吸を止める技法など、身体に負荷が大きくかかるものもあり、疾患を持つ方には危険を伴うものもあります。
一方でヨーガ療法は疾患を持つ方でも安全に行えるように、医学的エビデンスを根拠に次の4つのヨーガ技法を行います。
・身体法
・呼吸法
・リラクゼーション法
・瞑想法
これら4つを組み合わせて行います。
【まとめ】
今やエクササイズとして知られるようになったヨーガですが、その歴史は古くヨーガ技法もアーサナと呼ばれるポーズではなく、インド哲学と関わりが深いものでした。
その哲学にもあるように、全てが変化するこの世界の中で、歴史とともに多様化するヨーガもその原則に則ったものなのかもしれません。
たくさんあるヨーガ教室の中で、ご自分の目的にあった教室を選ぶことが長く続ける秘訣です。
より豊かな日常のために、ヨーガがみなさんのお役に立てることを願います。
参考文献
「スワーミー・ヴィヴェーカーナンダの生涯」スワーミー・ニキラーナンダ著/日本ヴェーダーンタ協会
「あるヨギの自叙伝」パラマハンサヨガナンダ著/森北出版
「ヨガと瞑想」内藤景代著/実業之日本社